3歩歩けば人は変わる

子どもの頃から親に叩き込まれた教えがブログのタイトルです。基本思いついたときしか書きません。

仮面はどこまではずせば良いのか

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変化は簡単なところから始めて小さく積み重ねて - 3歩歩けば人は変わる

あるがままで居ることを信条としていた(中学生の頃)ので、なかなか馴染まないのです。どこかに妥協点があるハズですが見つけられずに居ます。いつまでモラトリアムなんだ?と思います。

2015/11/17 08:21
b.hatena.ne.jp

「仮面」はいくらはずしても際限がないし、はずしすぎると"あるがまま"の自分を認めてもらえないんじゃないか、その恐怖感で辛い。
妥協点の見つけどころが難しいですよね。
かなり個人的な意見ですが、"あるがまま"の自分像が呪いのように、自らを捕らえているようにも感じにも見えます。

「仮面」を「顔」として認めるプロセス、と簡単に書きましたが、実は結構難しいんです。
ただ、相談に乗ってきた経験上では、ゴールを導く方法として、仮面をはずすよりも簡単だと思っています。

「仮面」を「顔」として認めた瞬間に"妥協点"を求める必要がなくなるからです。
自分も相手も両方とも見たそのままの「顔」なんですから。

でもやっぱり、自分の嫌なところを自分として認めるのは、難しいですよね。
「仮面」と「顔」のイメージでなく、「人形」とそれを照らす「明かり」、そして紙1枚はさんだ先に見える「影絵」のイメージ、はどうでしょうか。
「人形」という自分自身がいて、人や場所によって照らされる「明かり」。
そして、その「明かり」によって映し出される「影絵」しか相手には見えない。

自分自身という「人形」は何も変わっていなくとも、「明かり」の角度や色合い、強さが違えば、「影絵」に映る自分は形を変える。
相手が、いくら人形の全貌を知ろうとしても、影絵から人形の姿を想像するしかないんですよ。
相手に人形の形を知って欲しくば、人形は向きを変えたり、色々試行錯誤する。
そのプロセスが、親睦を深める、ってことなんじゃないか、と。
仮面をはずす、でなく、人形の形を想像しやすい決めポーズを探す。


「人形」と「影絵」で、"あるがまま"の自分の存在と、外から見える本当じゃない自分、のイメージを固定しちゃうんですよ、
一方で、「影絵」に映る像は「人形」や「明かり」の動き次第で変わっていく、という柔軟さを取り入れる。

自分自身はちゃんと存在する、形は違っていても見えている、柔軟に変化できる、これぐらいが確立するイメージなら何でもOKだと思ってます。
答えにはなってないかもしれませんが、多少はマシにならないかなー。