3歩歩けば人は変わる

子どもの頃から親に叩き込まれた教えがブログのタイトルです。基本思いついたときしか書きません。

いきなり子どもに無尽蔵の愛情を注ぐことなんてできない

さて、子どもが産まれてもうすぐ9ヶ月。
我が息子はすくすくと成長している。

息子と接した9ヶ月の中で何より感じているのは、いきなり子どもに無尽蔵の愛情を注ぐことなんてできない、ということ。

産まれたとき、世の中で良く聞くような「世界で一番可愛い」「何をしても守りたい」などなど、そういった感情は出てこなかった。
普通に嬉しいし、自分の子どもがいる、という現実がまだ信じられない不思議な感じだけ。

mak-in.hateblo.jp

では9ヶ月経った今はどうかというと、「世界で一番可愛い」「何をしても守りたい」などなど、ちょっと大げさだがそれに近い感じだ。

この9ヶ月で僕に何があったか。
子どものおむつを替えたり、だっこして寝付けさせたり、お風呂にいれたり、遊んだり。。。
子どもを世話する中で、僕から息子への愛着も湧いてきたし、息子から僕へのリアクションもある。
息子は、遊びたいときは僕、甘えたいときはワイフに寄っていく。
その相互のやりとりがだんだん可愛く思えるようになってきたのだと思う。

少し話は変わる。
ワイフが友人と女子会をやってから帰ってくると、毎度のように「まっきーと結婚して良かったわー」とベタ褒めしてくれる。
どうやら、同じく子どものいる友人宅では、旦那が一切子どもと関わろうとせず、子どもも懐かない、とのこと。
女性はこの旦那を批判するが、正直僕自身、子どもと接していなかったら、今のようにかわいがっているか疑問に思うことあるので、批判はできない。
彼らは最初に子どものとの距離感がつかめなかったので、その距離感を詰められないまま時間が過ぎてしまったのだ。
旦那当人の問題でもあるが、子どもとの距離感を詰めるプロセスを怠った夫婦の問題でもある。


確か映画「誰も知らない」のなかで、「子どもが15歳なら、親も親15歳なんだよ」みたいな台詞があったことをぼんやり覚えている。www.kore-eda.com

いきなり立派な親になんてなれない。
子どもに愛情を注ぎ、育てていくには、一緒に育む手間と時間がいる。
まだ父親1歳未満だが、この先息子と一緒に成長するしかないなーと思うこの頃である。