3歩歩けば人は変わる

子どもの頃から親に叩き込まれた教えがブログのタイトルです。基本思いついたときしか書きません。

変化は簡単なところから始めて小さく積み重ねて

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ひとつ前の記事で自分なりの考えを書いたんですが、読み返して見ると、どうも「仮面を被る」と表現する人を批判してるようにも読めたので、補足として書く。

  • 人間、何かを変えようとするには、それなりの精神的なコストがいる。
  • 大きく変えるにはそれ相応の精神的コストがかかる。特に自己肯定感が弱い人は変化が終わるまで精神的コストに耐えきれず失敗してしまうことが多い。大前研一も言っていたが、時間、場所、人を変える必要がある。
  • 時間、場所、人を変えないのであれば、簡単なところから始めて小さく積み重ねて行くのが良い。

以上が要約。

そもそも前の記事を書いた動機がコレ。

一方で、個人的な経験からすると、自分に自信がない、自己肯定感が弱い人ほど、「仮面を被る」という表現を使いがち、な気がする。自分は仮面によって隠されている、そんな認識が過剰に強くなりすぎると、外の仮面と本当の自分との解離、二面性に悩み、自分探しの旅をしちゃうような精神状態になってしまう。それを打破しよう、本当の自分を出そうと、外の仮面とは真逆な人間像を演じ、無理をして失敗し、また悩む人も複数見てきた。本当の自分を演じる、というジレンマは辛い。

自分に自信がない、自己肯定感が弱いことが悪いとは思ってはいない。
ただ変化への抵抗力が弱く、失敗して悩む人を複数人見てきた自分としては、過去痛々しかった記憶が甦り、一言言いたくなってしまった。
単なるお節介である。


言及していた元記事では、自分が読みきれなかった相手の顔を、本来直接関係ないはずの「仮面」という自分が認めたくない自分の顔を結び付けて、人間不振みたいな状態だった。
自分がそうなら相手もそう、という思考は、コミュニケーションでは非常に大切で、実際には違っていてもその思考自体が円滑に進める。
id:nandenandechanさんは「仮面をはずす」イメージを実行し、それに成功しているようなので、非常に良いと思う。

ただ、「仮面」という言葉を多用しがちな自己肯定感が弱い人は、「仮面をはずす」イメージを行動することが難しい。
前の記事にも書いた通り、仮面をはずした先にある顔の正体が分からず、何枚も仮面をしたイメージが続いてしまい、際限がない。ゴールが見えない。
これをid:nandenandechanさんは、1枚ずつはずすイメージで、目標を小さく切って実現したのが成功のポイントだと思う。
また、仮面をはずすイメージを行動した際は、変化への反応、戸惑いに不安になる。自分が仮面をはずすイメージを行動したことで、相手にもそれを求めてしまうが、その変化がすぐに現れないと、不安に押し潰されて、耐えられなくなってしまう。
これは、周り次第、自分が気が付くか気が付かないか、の運次第、とも言える。


「仮面」というイメージを捨て、それを「顔」として認めるプロセスの価値は大きく2つ。
1つ目は、自分が仮面を被っていない自分であることで、相手も仮面を被っていない、と認識しやすくなる。
2つ目は、顔のイメージであれば、少しずつ変化することも可能。
仮面は離散的、デジタル。
顔は連続的、アナログ。

デジタルな思考だと、理想像に一発で急転換しようと思考しがちになる。 
実際に僕が見てきた仮面に悩む人たちは、一辺に理想像に近づこうとして、実現できずに自分を責める人が大多数だった。

大前研一も言っていたが、時間、場所、人を変える必要がある。
時間、場所、人を変えないのであれば、簡単なところから始めて小さく積み重ねて行くのが、成功の秘訣だ。
人は誰しも思い描いた理想像に、急に変われるほど強くない。

それにしても息子が寝ないので暇潰しに書いてるのだが、眠い。
眠すぎて、まとまってない気がするので、あとで校正する。

(遅筆なので、この記事を書くのに1時間半程度かかりました。)

追記:
id:nandenandechanさんのコメントへのコメントを書いた。mak-in.hateblo.jp