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3歩歩けば人は変わる

子どもの頃から親に叩き込まれた教えがブログのタイトルです。基本思いついたときしか書きません。

小さな失敗を多く重ねるよう段取りする

掲題の通り。
教える側の心構えとして。

前の記事(http://mak-in.hateblo.jp/entry/2016/04/04/021451)で新人にはあいさつだけをきちんと教える、と書いたところ、子育てにも通ずる、とのコメントを頂き、こちらも気付きがあったので書く。

我が息子を育てるに際し、「小さな失敗を多く重ねるよう段取りする」ことを心掛けている。
これは我が息子だけでなく、新人など覚えたての真っ白な人に対しては、教える側として僕が常に意識していることだ。
教えられる側の心構えに言い換えるなら、失敗したときの逃げ方(避ける、痛みを減らす、痛みをごまかす、など)は早めに身に付ける、失敗したら次は段階を細かく刻んで試す、といったところか。

ここで注意するのは、あくまで教える側の心構えであって、教えられる側の心構えではない、ということ。
これを勘違いすると、苦労を押し売りするだけで教える側の存在自体が成長の阻害要因になってしまう。

一方で、便利な道具というのは基本的に何かの行為をショートカットするものだが、その道具しか知らないとどんな便利さ、危険を含んでいるか分からないため、改善策やトラブル回避などの思考が弱くなりがち。
便利な道具の意義を体感的に理解する、には苦労するのが手っ取り早いのも確か。
やり過ぎてもダメ、やらなさ過ぎてもダメ、そのさじ加減は難しい。
だから、教える側ができるだけ短い間に失敗する機会が増えるよう段取りする。

我が息子は、つかまり立ちができるようになってすぐに椅子などに登りたがるようになった。
登って落ちて後頭部を打ってしまったらいけないので、登りやすい低い台をクッション材の上に置いた。
その台に登り、失敗して泣く息子。
しかし、回数を重ねると慣れて泣かなくなるので、今度はクッション材を外す。
すると、クッション材が無い分、痛くなってまた泣く。
また回数を重ねると、落ちても受け身を取るようになり、泣かなくなる。
その頃には、椅子に自力で登れるようになり、また椅子から落ちてもヘッチャラだ。

現在1歳5ヶ月の我が息子は机の上に軽々乗ってしまう。(ただ今、つくえに登らないようしつけてる最中だけど時間がかかりそう)
そんな我が息子を見てると、落ち方だけでなく、高さと落ちたときの痛みが関係していることが感覚的に分かってきたようで、高いところほど降りる時に慎重になっている。
慎重になってても、テンションが上がって忘れた時や、手や足が滑った時に落ちる。
落ちるのは変わらないので、落ちたときに異物にぶつからないよう掃除や落ちそうな時に声をかける、などやること自体は変わらない。
よく見る、危険過ぎるものは排除もしくは予め伝える。

もちろん必ずしもこう狙い通りに行くわけでない。
我が息子がパソコンをやたら触るので、安いキーボードとマウスを買って誤魔化そうとしたら、ものの2回で見破り、本物を奥から探しあててきた。
配線を換え、本物と偽物を交換してもすぐに見破ってしまう。
また、やたら携帯を触るので、古いAndroid携帯を渡すも全く興味を示さず。
僕らが触っているものを使いたいらしい。

このように狙い通りにいかないことの方がむしろ多いぐらいだが、狙いとのギャップでその問題を解決するスピードや興味が浮き彫りになってくる。

人に教えるというのは、教えられる側との知恵比べだと思っている。