揉めて平行線のまま解決できないときは前提を疑う
こういうマスの問題は、資金のやりくりでだいたい説明できるのが個人的な主観。制作費<<売上ならガンガン挑戦できるし、逆なら手堅いものにシフトしていく。韓国とかは世界に売り出すことでその問題を解消した。 / “「日本映画が面白くない…” https://t.co/7DZNGwtPKP
— Yusuke Makino (@mak_in) 2016年4月11日
以上、要約。
39℃の高熱で苦しい。頓服薬飲んで効くまでの間に書くつもりで。
僕は、仕事でよく揉めごとの仲裁に入って場を仕切る機会が多いのだけど、今回の「日本映画が面白くない」問題が典型的な揉めごと事案なので、感じたことを書きたい。
まず、やりがちなこと。
なぜなぜ分析をミクロ方面のみにやってしまい、結果「頑張る」「注意する」「心がける」「改善する」に帰着する。
なぜなぜ分析をやる対象が小さければ良いが、対象が大きければ教育というコストがそれなりに必要になる。
そもそも、「頑張る」「注意する」「心がける」「改善する」に帰着したのは、限定的なコストの中での結論なので、前提と相反するため、結果うまくいかない。
ただし、ミクロ方面のアプローチにも効果的な方法があって、どこでも使える汎用性が高いもの、展開時の原価が安いものは、対象が大きいほど効果が出る。
多くの場合、それがITになる。
(初期コストはかかるが、人が増える等の対象の増加に対するコストは低い。)
逆に言えば、汎用性と展開コストの条件に合わないものには、必ずコストがかかる。
コストの問題は、マクロの視点に向かっていかないと見つけにくいのだが、見つけたところで、コストの決定権を持つのはその組織の偉い人。
偉い人に「お前が悪い」と言ったところで、「いやお前だろ」とつっぱねられるのが関の山なので、それなりの論理武装が必要になる。
その論理武装を導いてくのが、腕の見せどころなんだけど、その時の心構えとして。
・過去幾千の人が解決できなかった問題にはそれなりの理由がある。
・意見が対立して平行線のままの時は両者が正しい。
・対立していても共有している「前提」が必ずある。それを明確化し、それに対する解釈含め、前提を広げて行く。
・すると解決できることもあれば、「無理じゃん!」と諦めざるを得ない状況も。
・諦めざるを得ない状況≒マクロな視点でコストをかけないと解決できない問題。
・ここで偉い人への論理武装が出来上がるわけだが、結局偉い人が、その問題を諦めて現状維持か、リスクを負って投資するか、を選択。
・できなかった理由の最多の要因は、リスクを負う決断を先延ばしにしたから。一方で、リスクを負うこと自体が必ずしも良いとは限らない。生存戦略に失敗しただけ。
・・・・眠くなってきて、自分でも訳がわからなくなってきたので、この辺で。
最後に、「日本映画が面白くない」問題はこれが気になる。
・全部が全部、日本映画は面白くないのか。海外の作品もつまらんの大量にあるだろ。
・量は質を生む、量は質を保証する、つまらん映画の量は良い映画の質を保証する。つまらん映画の母数と1作品あたりのコストが気になる。
・ってか、そもそも誰もがなし得なかったことを内側から変えるなんてそんなの無理ムリ。その時点でコストは下げられない。売上を上げるしかない。
・韓国やインドの映画と比較してる時点で、韓国やインドの映画は日本でも売ってる、ということ。グローバルなビジネスで売上をあげてる。
・くそつまらないと日本で評判のハリウッド監督紀里谷和明の制作費と興行収益。ちゃんと収益をあげてるのだとしたら、彼をお手本にすべき。彼には商才がある。
以上