3歩歩けば人は変わる

子どもの頃から親に叩き込まれた教えがブログのタイトルです。基本思いついたときしか書きません。

金が無尽蔵にあったら自由にサラリーマンがやるのが良いな

金が無尽蔵にあったら何をするかを考える - はてな匿名ダイアリー

「金が無尽蔵にあったら」はある種のファンタジーだからこそ盛り上がるネタのひとつ。
しかし、僕にとってはファンタジーではない。

独身の頃、僕より5つ年上で特に仲の良かった飲み友達Aがまさに金が無尽蔵にあったらを現実にしたような人で、彼の周りだけ常にバブル期だった。
彼は某超大手企業の役員のボンボン息子。
某エリート校に進学し高校生の頃、ノリで「ラブホやったら儲かるんじゃね?」と友達とお小遣い出しあってラブホを買い、運営したことが最初のビジネスだと聞いている。
以後も、ビジネスや株、資産運用などによって金が金を呼びどんどん資産が膨らんで、一生遊んで暮らせるほど持っている。
だが、彼の怖い両親の言いつけにより、サラリーマンをやっている。
曰く、規則正しい生活をするためにサラリーマンをやっている、と。

彼について語り始めたらキリがない。
「金が無尽蔵にあったら」という言葉を体現した彼と実際に5年近く毎晩のように一緒に遊んでいた中で感じたことはいくつかある。
ソシャゲの課金なんかは特に分かりやすいけど、リアルでも金はショートカットや手札を増やす(保険)の手段として機能し、少額でも運が良ければ上手くいくし、金額があれば上手くいくまで試すことが出来る。
ただリアルがソシャゲと違うのは、人、場面、時間などによってゲームのルールが曖昧というか目まぐるしく変わる。
その中で、ルールさえ見極めれば「金が無尽蔵にあったら」あらゆることが正攻法でこなすことが出来る。
正攻法だから、だいたい成功する。
この繰り返し。
だから飽きる。

すると、結局「自分はどうあるべきか」「周りをどう捉えるべきか」という自分探しの内面的な視点に目が向くか、リソース≒金が限られている状況でどうすべきかという視点自体が魅力有るものに見えてくる。
セレブがDIYにハマるのはまさにこれ。超セレブな森泉が100均でDIYやるのは当然と言えば当然。
そんな環境/意識のなかでサラリーマンをやると、どうなるか。
しがらみに囚われずあるべき姿のまま仕事が出来る。
サラリーマン金太郎状態である。
金太郎であると同時に、会長状態。
彼にとっては、サラリーマンは趣味なのだ。

さて、そんな彼を近くで見ていた自分。
一緒にセレブな遊びをさせてもらったが、それだけやっていると流石に飽きるだろうな、というのは体感的によく分かった。
社会に関わらないとダメな人間だと思う。
僕も金が無尽蔵にあったら自由にサラリーマンがやるのが良いな、と思う次第である。

日に日にかわいさを増す息子

息子は来月11月の祝日で2歳になる。早いものだ。

最近ワイフとこの2年を振り返って話す機会が多いのだが、いつも「一番かわいい時期」と思って接しているのに、この2年、日に日にかわいさを増す息子の存在に恐怖するばかり。
僕もワイフも最初の数日は、「かわいい」という感情は息子に対してあまり抱いていなかった。
mak-in.hateblo.jp
しかしまぁ、今や僕ら夫婦は完全な子煩悩なワケで。
mak-in.hateblo.jp

この話をしてるときにさっこさん ( id:plutan )のあるツイート&ブログを思い出す。


blog.plutan.org

うちはまだ幼児期を全然脱していないにも関わらず、その成長から今の息子をフィルターとして、少し前に「一番かわいい時期」と思ってた時を思い出す。
そして、些細なことばかりだけども、自分の変化、夫婦の変化、周りの変化、なども合わせて思い出す。
この先大変だろうが、この先もこの感覚を繰り返していけるのだろう、という安心感がさっこさん ( id:plutan )のあるツイート&ブログにはあり参考になった。

仕事でもプライベートでも、家庭を持って子どもが出来ると保守的になる、という話がままあるが、個人的には逆にチャレンジしやすくなった感覚がある。
過去の経験のフィードバックの精度や純度が若い頃に比べて良くなってきている気がする。
前よりも過去を上手く消化しやすくなって、今や未来につなげやすくなった、と言うべきか。

息子には感謝してばかりだ。

子ども育ててると夫婦の価値観/背景の違いの発見があるよね

子ども育ててると夫婦の価値観/背景の違いの発見があるよね、という話。
子はかすがい、とはよく言ったものだ。
(学生時代は建築学科だったのに、かすがいは未だ写真でしか見たことがない。)

僕は岐阜の柿畑ばかりの農村生まれ、ワイフは三重志摩の漁師町生まれ。
結婚準備、新婚生活の中で、付き合ってた頃には、気付かなかった価値観や背景の違いの発見がいくつかあった。
例えば、家で作る料理。
厚揚げの煮物をやたらワイフが作るのだが僕は家庭で食卓に初めて出た驚いたし、ワイフに「十六ささげ」のおひたしを作ってあげたらナニコレ!!と驚いていた。

そんな驚きの日々も結婚して1年も経てば、そんなことも無くなってくわけで。
結婚から1年半後に息子が生まれ、そんな息子ももうすぐ2歳。
息子の成長に合わせて、僕ら夫婦やお互いの親が子どもの頃やってたことをトレースしていく機会が増える。
お互いのことを知ってたと思ってたはずなのに、え!そうなの!みたいなことが案外あるのだ。

最近、息子と公園に行くと、ドングリを拾って楽しむことが多い。
でも子どもがいっぱいいる広場や遊具の近くのドングリは、大抵拾い尽くしててなかなか見つからないので、ドングリをさがしながら公園内をウロウロ。
「これはコナラ、カシ、クヌギ、せっかくドングリの木があるのに落ちてないね。。。もうエンマコオロギがいるね。」
とつぶやくとワイフが驚く。なんで知ってるの?と。
何故かと言えば、子どもの頃から公園で見つけたものを家や図書館で図鑑を見つけるのが習慣だったから。
一方、ワイフも魚屋やテレビ、水族館で、魚を見るとほぼ全て名前が即言える。
伊勢海老の漁師のじいちゃんと海女さんとしてアワビを採ってたばあちゃんのとこに入り浸ってたから。
そんな子どもの頃の思い出話が出てくる。

子どもの成長だけでなく、夫婦のお互いを知れるのも良いよね。